食と音楽と

良い食事と良い音楽は人を幸せにするって本当かしら? 46歳でADHDと判明後解雇され無職となった今を綴る

普通が良いと思うこと

私が精神科の診察でADHDであると診断される前、自身の人格に疑問を抱き、ここ数年あらゆる手段で自己分析を試みてきた。退行睡眠セラピーを受けたりもした。

 

近年HSP(Highly Sensitive Person)なる単語が、ネットスラングから派生したのか、はたまた広告代理店(笑)の影響からか、目立つようになってきた。

 

HSPとは「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」と定義されているようで、他人に影響されやすく境界線が薄く、生きづらさが故にうつ病などを発症しやすいとしている。

 

ただし、これは精神科医が診察の結果判定を下されるものではなく、自己診断により自らレッテル貼りすることになる。ググれば診断シートなどがあるので、気になる方は検索を請いたいが、HSPADHD(項目によってはASD)とは結構似ている点があり、今となっては自己判断して自己催眠にかかるのはかなり危険と感じた。

 

HSPで定義される「境界線が薄い」という言葉もADHDの「神経過敏」に類似するなど、密接に関係している。

私は当時ADHDなど無縁だと思い込んでいたため、HSP関連の書籍を相当読み進めていったが、何の解決に繋がらなかった。結果として「HSPを受け入れて順応」していくしかない程度。

 

HSPを受け入れるのは良いが、さてそれからどう生きていくのか。

HSPになった原因として両親の存在や幼少時の生活様式に影響を受けたのは明らかではあるが、今更生き方をどうやって変えるのか?

 

そう思ううちに、友人などの「普通に人生を送る」ことに羨ましく感じるように至った。

・常識のある両親をもち

・長年勤務し定職に就いて

・転職もせず

・それなりに出世し

・恋愛し

・結婚し

・子供を設け

・マイホームを持つ

・年相応の財産を蓄える

など、当たり前(当事者は努力したのかもしれないが)にライフワークを構築していった方々を羨むようになってしまった。

羨めば憎みあり。次第に憎しみの矛先は両親に向かってしまい、結果両親からの拘束を自ら解き、自立するところから始まった。

 

結果、

・定期的に電話連絡をしない

・定期的に実家に帰らない

・仕送りを止める

 

という行動に出た。もちろん、両親に20年以上続けてきたことを突然止めると両親からの圧がもの凄いことになった。親からしてみれば、頼り手が消失するに近いわけで、当然と言えば当然だったが、鬱陶しいのは2ヶ月程度で、音沙汰もなくなり、自身を見つめる機会となった。

 

このような自我を意識するようになってから、行動の全てを顧みるようになり、衝動的行動が増える事になる。冷静さを欠いて、安易な転職をし、3年間で3回の離職と就職、無謀な給与アップを狙ったり、本当にやりたいことに取り組んだり。

しかし、生きる基本ができていないADHD持ちが行動起こしても何の利益や結果に繋がらず、結果うつ状態が悪化し、3度目となる休職をせざることになった。

 

結局、普通が良いこと、と感じるのはあくまで願望であり、よその畑であると認識し、今に至る。もはやマイノリティとして生きて行くしかないのだ。